『ひいなあらし』のこと (ひいなとは王朝時代の小さくてかわいらしい人形の呼称)
日本土鈴館館長 遠山 一男
私ちはおとなになると遠く幼い日の遊びや故郷の祭りの感動を忘れてしまうのでしょうか?
いや決して忘れたわけではなく、それは心の底に埋火のように残ってふとした折にまざまざと甦るのです。雛節句は日本独特の人形まつりで江戸時代よりこの行事を中心に日本の人形は発達してきました。雪深い郡上地方はひと月遅れの4月3日が雛まつりで、桃の花はまだつぼみ、梅の花が真っ盛りの頃です。飾る人形はデコノボーと呼ばれる人形が主体で福助や恵比寿大黒、歌舞伎物、招き猫、とにかく目と口のあるもの全部を布に敷いたミカン箱や机の上に並べました。前日の宵節句は各家庭で、おり菜を入れた餅、小豆飯、桃酒、煮しめ、汁物、菱餅、あられなどを作って供え、子どもたちは「ひいなあらし」を夢見て眠れない一夜でした。雛まつり当日は晴れ着を着、朝早くから「ひいな様見せとくれ」と隣近所を回ります。そして午後になると待ちに待った「ひいなあらし」が始まります。この時だけは、誰彼となくお供え物を自由に食べることが許されるので子どもたちは大はしゃぎでした。特に初節句を祝う家では、わが子の子供社会への仲間入りの日でもあり『大きくなったら一緒に遊んでほしい』と願う親心で心配りもことのほか念入りになったものです。 「ひいなあらし」 この風習も最近ではあまり見かけなくなり、懐かしい思い出です。